肥後象嵌とは、主要素材である鉄に純金や純銀を打ち込む、江戸時代初期に生み出された肥後独特の象嵌技法で、江戸時代には、刀の鍔や小柄などに象嵌が施されそれを身に帯びることは当時の武士のダンディズムの象徴であったといいます。
肥後象嵌の創始は、寛永(1632年)に肥後藩主として入国した細川忠利に、鉄砲鍛冶として召しかえられた林又七が、鉄砲や刀の鍔などに象嵌を施したところから始まったといわれていますが、林家の他にも、このころから始めた平田家、西垣家、志水家の四大主流により、象嵌の技法が代々継承されてきました。
また、この他にも林家の流れをくむ神吉家、谷家、遠山家、三角家、諏訪家など細川三斎公時代の金工や坪井諸工と呼ばれる肥後金工の職人集団などに加え、三斎公自らの作や寛永17年(1640年)細川忠利の召しに応じて肥後(熊本)に入った剣聖宮本武蔵の鍔や小道具等の慰作があります。
現代では、郷土の美術工芸品として親しまれていますが、今また、ファッションやインテリアなどの新しい分野にZOGANとして進出しています。